何年か前の冬、
車で夜の山道を運転していたときの話。

冬用のタイヤを装着しているとはいえ、
カーブが多い上に凍り付いた山道を走るのは緊張する。

スリップすればガードレールを突き破って
崖下にダイブする羽目になるのは目に見えているからだ。

実際その山道では冬の事故が多く、
毎年のように負傷者や死者が出ていた。

何度かハンドルを取られそうになりつつ、
慎重に運転していた。

そのとき、
不意に背後から光が差し込んだ。

バックミラーを見ると、
いつの間にかピッタリ後ろを別の車が走っていた。

あまりにもピッタリと密着しすぎているせいで、
相手に道を譲るためにスピードを落として
路肩に寄ることすら難しそうだった。

少しスピードをあげて引き離してから同じことをしようにも、
折悪く、場所は急カーブの連続で路面もツルツルに凍り付いている。

下手にアクセルを踏もうものなら
崖下に真っ逆さまだ。

苛々しつつ、
慎重の上に慎重を重ねてカーブ地帯を乗り切った。

まっすぐな道に出たので
少しスピードを上げてから路肩に寄り

「ほら、先に行け」

と態度で示したが…

そこで初めて、
再び後ろが暗くなっていることに気付いた。

おや、と思って振り返った。

先ほどまで密着していた後ろの車が、
どこにも見当たらなかった。

途中で脇道なんてなかったはずだし、
後ろの車がスリップして崖下に落ちたのだとしたら、
あれほど密着されていたのだから気付かないはずがない。

「?」

と思いながら、
再び車を発進させた。

しばらく走ると、再びカーナビから

「カーブが多くなるので注意してください」

的な呼びかけを受けた。

そこに差し掛かった途端、
また後ろが明るくなった。

さっきの車だった。

追いついてきたらしい。

またピッタリと密着してくる。

スピードを落とすことすらできないくらいに。

頭に血が上ったが、
怒っている場合ではない。

慎重に、慎重に、慎重に…

嫌な汗をかきながら、運転を続けた。

途中でタイヤが「ずるっ」と滑るたびに
心臓が飛び出しそうになった。

カーナビは緊張を煽るように

「カーブです、注意してください」

を繰り返すし。

後ろの車は相変わらず、
ぶつかる寸前のところをついてくるし。

それでもようやく、
カーブ連続地帯を脱出できた。

また、さっきと同じように暗くなった。

直線道路に入った途端、
再び背後の車は姿を消していたのだ。

いつの間にか距離を引き離していたのかもしれないし、
俺の気付かなかった脇道に入ったのかもしれないが。

心臓はまだバクバクいっていたが、
緊張から解放された安堵感よりも
嫌がらせを受けた怒りの方が先立った。

嫌がらせを通り越して、
あれは事故を誘発していたのかもしれない。

危険な運転をする車がいる、
と警察に通報した方がいいかもしれない。

あまりにも接近されていたし夜だったし、
だからナンバーまでは確認できなかったが。

とにかく腹が立って仕方がなかった。

俺は車内で(目の前にいない相手に対してアレだが)
罵声を吐き散らしながら山道を下った。

勿論、直線道路とはいえ道路は氷結しているし、
何度ともなくハンドルを取られるしで、
慎重な運転を心掛けないと危険な状況に変わりはなかったが。

それでもようやく麓の市街地に辿り着き、
一休みしようとコンビニに駐車した。

まだ心臓の高鳴りは収まらない。

シートベルトが何故かなかなかうまく外れないのに苛々しながら、
俺は通報のことを考えていた。

具体的に、
何といって通報すればいいんだろう。

危険な車がいます、
暗くてよく見えなかったけど…
で、いいかな。

それでも何とか、
覚えている特徴を挙げるとすれば…

車体は、たぶん緑色。

車種には詳しくないが、
軽自動車だと思う。

ハイビームを浴びていたから
車内の様子は分からなかったけど…

そこまで考えた途端、
当たり前のように、
記憶の中にある背後の車の有様が克明に浮かび上がった。

前部がひしゃげ、
フロントガラスは粉々に割れて
車内は吹きさらしになっている。

車内は青白い光に満ちており、
小さな縫いぐるみや小物類が
乱雑に散らばっているのが見えた。

運転席でハンドルを握り、
前のめりになってこちらを見ているのは、
鼻のない女だった。

大笑いの途中で凍り付いたままピクリとも動かない表情は、
まるでプラスチックの仮面のように見えた。

見開いた目は瞬きひとつせず、
口もカッと開いたままだ。

鼻は無理やりもぎ取られたかのように無くなっていて、
顔の中央にぽっかりと赤い穴が開いているように見えた。

ハンドルをきつく握る指は、
幾つかが変な角度に曲がっている。

何だこの記憶、と思った途端、
どうして雪道とはいえ運転がしづらかったのか、
どうしてシートベルトがなかなか外せなかったのか理解できた。

俺は、ずっと震えていたのだ。

歯の根が合わないし、
指は(恐らくハンドルをきつく握りしめすぎたのだろう)
ひどく痛んでいた。

後になって考えると、
仮に後ろの車が俺の変な記憶どおりの惨状だったとしても、
ハイビームを受けているし夜中だったわけで、
そこまで克明に見えるわけがない。

見えたのではなく、
見せられていたのではないか。

そして、そんなものが見えたのに
俺が事故を起こさず運転できた理由、
そして安全な場所に来てから記憶が甦った理由だが…

多分

「ここでパニックを起こしたら事故る」
「事故ったら、まず助からない」

と俺の無意識が判断したからではなかろうか。

だから俺は見えていないはずだった。

でも、実際には見えていた。

意識はしていなくても体は知っていた。

だから、
ずっと震えていたのではないだろうか。

勿論これは後付けの解釈である。

俺の頭の中のイメージ映像が
どうかしている可能性の方が高い。
(ちなみに、一応警察には「危ない車がいる」とだけ通報しておいた。
そのあとは何の連絡もないので、
どうなったか分からない)

ただ、心霊写真や心霊動画を見るたびに、
このときのことを思い出す。

心霊写真は大概の場合、
変なものが写っていると後から気付く。

撮影時には誰も気付いていないことが多い。

これはもしかすると、
あの冬の夜の山道と同じことなのかもしれない、
と思うのだ。

目の前に、
確かに何かがいたのかもしれない。

しかし、
そういう存在を生で見てしまうのは、
かなり危険なことなのだろう。

だから脳がそれを拒絶し、
撮影者は写真が出来上がるまで
目の前の異形の存在を認識することはなかったのだ。

人間の脳ってうまくできてるよな、
と思うと同時に、ふと怖くなる。

もしかすると、
俺の、もしくはあなたの隣に、
あちら側の存在がいるかもしれない。

あなたの肩に顎を置いて、
覗き込むようにして一緒にこれを読んでいるかもしれない。

ただ、あなたが認識していないというだけのことで。

以上です。

自分は幽霊話などについては基本、懐疑派だけど
もしかすると変な存在というのは意外に身近にいて
でも全員「石ころ帽」をかぶっているような状態なのかもしれないなー、と
このとき思いました。終わり。

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