俺には大学院生の兄がいる。

その兄は何がきっかけか知らないけど
ここ数年で様子が変わってしまった。

昔は気さくで大らかな性格だったのだが
今では急に怒鳴ったり笑ったりと
しばしば情緒不安定な振る舞いを見せる。

心なしか口調もきつくなった。

そして一番の変化は普通の人には見えないもの、
所謂幽霊の類が見えているようだってこと。

そんな兄の最近の話をしようと思う。

年末年始も帰省してこないような親不孝の兄が、
去年の暮れ久しぶりに実家に帰ってきた。

12月29日だった。

帰ってくるなり

「車を出せ、ホームセンターに行くぞ」

自分で運転したらいいだろと思ったが、
久しぶりの兄との再会だったし、
慣れない雪道を運転させては危険だと思い
二つ返事で従った。

買い物の目的は
どうやら大掃除用の洗剤なんからしく、
なんとも殊勝なことだと感心した。

買い物リストは携帯にメモっており、
それを見ながら
ひとつひとつカートに入れていった。

洗剤を2種類、バケツを1つ、
あとは雑巾やガムテープ、マスク等を購入した。

少し気になったのが、
マスクはよく見る白地のものじゃなく、
除草剤なんかを散布するときに使用する少し厚手の、
ちょっとしたガスマスクのような立派なものだったこと。

「いい買い物をした」

などと上機嫌な兄を助手席にのせ
再び雪道を走らせた。

翌日30日、
我が家では大掃除の日。

兄は昼過ぎまで寝ていた。

午後になって起きて来たかと思うと
遅めの昼食を食べ
また眠ってしまった。

昨日の準備の張り切りようはなんだったのかと思いながら
無理やりたたき起こし
トイレ掃除をやらせた。

更に翌31日、大晦日。

夕食後は
居間で兄弟(兄・自分・妹)3人仲良く
ガキ使を見ていた。

もう数時間で年が明けようというころ、
兄が除夜の鐘を突きに行こうと言い出した。

小学生のときによく祖父に連れられて
近くのお寺の鐘を突きにいったことがあったが、
兄が実家を離れてからはめっきり行かなくなっていた。

妹は半分寝ていたので
(それでもガキ使を見ながら時折笑うのが怖かった)
そのままそっとしておいて
兄と二人でお寺へ向かった。

車を走らせていると
兄がお寺に行く前に
寄りたいところがあると言い出した。

そこは全く正反対の方向だったが、
その先にあるコンビニにでも寄って行きたいのだろうと思って
兄の指示に従った。

「車を止めろ」

停車したのは母校の○○中学、
その前にある電話ボックスのすぐ隣だった。

ここでこの電話ボックスにまつわる曰くについて話しておく。

俺がこの中学に通うようになる以前から、
更には兄が中学生だった以前から
その噂は存在していたんだと思う。

パターンとしてはありがちなものだ。

電話ボックスのそばを通っていると
突然呼び鈴が鳴り出す。

そして受話器に出ると
得体の知れないうめき声やお経、
水の音なんかが聞こえてくるというものだ。

ただの悪戯かも知れない。

それに、
そんな気味の悪い内容ばかりなら
誰も受話器を取らなそうなものだけど。

それでもこの怪談が多くの生徒を惹きつけたのは、
稀にその電話が未来の自分と繋がるというからだ。

ある噂は
受話器の向こうの自分は
死んでいるんだという。

ある噂は
受話器の向こうの自分は
余命を教えてくれるという。

会話はできるだとかできないだとか、

こちらから話しかけると
寿命が半分になるなんてのもあった。

そんな不吉な噂でも
女子の間では占い感覚でもてはやされていた。

お電話様とかダイヤル様なんて呼称して、
傍から聞いている分には
酷くこっけいな名前だった。

興味の中心は女の子らしく恋バナで、
片恋相手とはうまくいくか、
いつ結婚するのか、
子どもは何人産まれるんだ、
そんなことをお電話様に聞いているらしかった。

ただ俺自身は
そのお電話様なんてのと話したこともなければ、
ひとりでに鳴る公衆電話のベルも耳にすることは無かった。

話を戻そう。

俺は兄と二人で
その電話ボックスに横付けされた車の中にいる。

このご時勢に
まだ電話ボックスがあったことに少し驚いたが、
当時同様今もうちの中学は携帯の持参を認めていないのだろう。

そんなことを考えているうちに
兄は勢いよく車外に飛び出し、
トランクを開けごそごそと何やら取りだした。

出てきたのは
一昨日買った掃除道具だった。

昨日使わなかったと思っていたが
車に乗せっぱなしだったのか。

マスクをし、
購入品一式をアスファルトの上に並べると
今度は財布からテレホンカードを取り出した。

「いいものを見せてやる」

そう言って
バケツと一緒に電話ボックスに入り、
カードを挿入しボタンをプッシュしだした。

しばらく受話器に耳を当てたかと思うと、
紐をだらんと垂らして受話器を放置し
バケツの中から洗剤の容器を取り出した。

冬の冷たい空気に、
微かに電話の呼び出し音が響いていた。

手にした洗剤の封を開け、
中身を勢い良くバケツに注ぐ。

1本目を入れ終えると
すぐさま2本目を開封した。

二つ目の容器も空になると
それらを無造作に投げ捨て、
バケツを放置し
電話ボックスから出てきた。

続けてガムテープでドアを目張りする。

ドアを閉められて
コール音が聞こえなくなった。

さらにバケツからは
なにやら気体が発生しているのがわかる。

電話ボックスの中は霧に包まれ
次第に白く濁っていった。

「窓を閉めとけ」

背中を向けたまま兄がそう言った。

危ないからな、と。

兄は
ガスで見えなくなったガラスの向こうを見つめていた。

聞こえないはずのコール音が
まだ響いている気がした。

1分くらいたっただろうか。

「・・・だめか」

兄がそうつぶやいた。

どうやら電話が切れてしまったらしい。

兄の奇行と
冬の寒さに固まっていた思考回路がようやく働き出し、
そろそろ行こうと声を掛けたが、
兄は動かなかった。

「もう少し」

そう言ったんだと思う。

兄のその返事にかぶさるように
今度はけたたましく電話の呼び出音が響いた。

余りに突然のことで、
一瞬耳が痛いようだった。

電話は切れたんじゃなかったのか、
もっと言えば受話器はまだぶら下がったままのはず。

そんな状態で
いったい誰から掛かってくるというのだろう。

答えられるはずもなかった。

今度は恐怖に思考が停止していると、
兄はうるさく音が漏れる電話ボックスに手を伸ばした。

ガラスに張り付くように掌を当てる。

ドンッ…!!

鈍い音がした。

兄がガラスを蹴ったらしい。

ドン、ドンと
更に数回蹴飛ばしている。

ベルの音は鳴り止まない。

「ははは、苦しいだろう。
毒ガスはお前をちゃんと殺してくれるよ」

呼び出し音が大きくなった気がした。

頭に響く嫌な音。

その音に向かい
兄は罵声を浴びせる、

「早く死ね、
そしてなくなれ、
もうお前は殺しただろう」

この死に損ないが、と続く。

今まで兄の口からは
聞いたことの無い言葉が溢れていた。

何分たっただろうか。

俺は耳を塞いで俯いていた。

電話のベルも兄の言葉も
これ以上聞いていられなかった。

気づくと音は止んでいた。

暗い足元から電話ボックスに視線を戻すと
兄が中を雑巾で拭いていた。

最後にペットボトルに入った水で中を洗い流すと
洗剤の容器や雑巾、ガムテープを一通りゴミ袋に詰め、
トランクに放り投げた。

「はー、さみー」

手をこすり合わせて
助手席に乗り込んできた兄は、
もう用事は済んだから
コンビニでも寄って○○寺に行こう。

まだ鐘突きやってるといいけど、
そう言って先を促した。

その後、
兄は除夜の鐘を一人で20回も突いたり、
雪だまを後ろから投げつけてきたりと
無邪気にはしゃいでいた。

ただ厚手のマスクを付けっぱなしでいたことには
家に帰って洗面所の鏡を見るまで気づかなかったようだ。

コンビニ店員や他の参拝客に変な目で見られたのは
そのせいかと一人納得した後、
何故教えてくれなかったのかと一発殴られた。

理不尽だと思ったが
あの兄を見た後では言い返すことができなかった。

久しぶりに聞いた鐘の音は大変厳かで、
あの響きの良さは小学生のころは理解できなかったな、
とか非常に満足した様子で兄は一人酒盛りを始めた。

一緒にどうかと誘われたが
俺はとてもそんな気にはなれず、
除夜の鐘の音なんかが耳に入らないほどに
頭にこびりついてしまった電話の呼び出し音と、
兄を睨む住職の表情を思い返していた。

翌日、1月1日、
ためらわれたが気になって仕方なかったので
昨日の出来事はなんだったのかと兄に聞いてみた。

「幽霊を殺したった」

「誰の幽霊かて?
強いて言うなら俺の、
でも何か元はあるんだと思う」

「電話はあの公衆電話自身に掛けた。
公衆電話にもちゃんと個別の番号があるのは知ってるだろ?」

「お前もあの電話ボックスの噂話くらい聞いたことあるよな」

「こっちから掛けても繋がることがあるってのは
知られてなかったのかも」

「俺は話したことある、
自分の寿命を決められた」

「いや、とっくに過ぎてる。
3年前の夏だった」

「まぁ今回のは復讐だよ、
寿命を奪った復讐」

「それよりパチンコ連れてけ、
お前の店の設定を教えろよ」

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