大学生になって、最初から一人暮らしはきついので下宿にすると言った時、
率先して下宿選びを手伝ってくれたじいちゃん(今は故人)の、若き日の体験談。

昭和2X年のこと。

18歳のじいちゃんは父親と衝突して故郷を飛び出し、
単身上京したが、勤め先で訛りをさんざん馬鹿にされ、
傷心の日々を送っていた。

じいちゃんが入った下宿屋には、同じような若者が大勢いた。

そんなじいちゃん達の母親代わりとなったのは下宿屋のおばちゃんだった。

「お祖師さま」の熱心な信徒さん(じいちゃんにはそう見えた)だったそうで、
そんなこともあってか、孤独なじいちゃんたちに何くれと無く世話を焼いてくれた。

そんなある日のこと、おばちゃんが妙に熱っぽい目つきでじいちゃんに言った。

「日曜にちょっとした寄り合いがあるんだけど、あんた一緒についてきてくれる?」

じいちゃんは面倒臭かったが、暇だったので同行すると、
集会所のような所で大勢の人が変な経典っぽい本を読んだり、
狂ったようにお題目を大合唱していた。

じいちゃんは戦時中、疎開先の近所から朝晩聞こえるT教の
「た~すけたまえ」の歌がうるさくて仕方なかったことを思い出して、
猛烈に嫌な気分になった。

だからその後はおばちゃんに誘われても
何かと理由をつけて断っていた。

おばちゃんはじいちゃんにずっと付きまとうかと思いきや、
意外にもあっさり退き下がったのですっかり安心して、
いつもと変わらない生活を続けていた。

それから暫くたった、ある日の夕方――

勤めから帰ったじいちゃんが角を曲がると、
下宿の中から大音量でお題目が聞こえてきた。

「今度は自分の家で寄り合いか?うるせ~な~」

と思いつつ玄関の格子戸を開け、靴を脱いで、
茶の間をひょいと覗き込んだじいちゃんは仰天した。

おばちゃんを中心に円座していたのは、
じいちゃん以外の下宿人全員だった。

じいちゃんはようやく気が付いた。

この春下宿に入居した人間は、じいちゃんを除いて
全員おばちゃんに洗脳されてしまったのである。

今や外堀を埋めきったおばちゃんは、
玄関にいるじいちゃんを見るとにっこり笑った。

「もうあんた一人だけだよ。いつまでも意地を張っても仕方ないよ」

そう言いながらおばちゃんが立ち上がると、
下宿人たちも一斉に立ち上がった。

そして全員が玄関にいるじいちゃんを真っ直ぐ見つめ、
掴まえようとズンズン迫ってきた。

もうここにはいられない。

じいちゃんは履物を掴んだまま廊下に上がると彼らを投げ飛ばし、
脱兎のごとく2階に駆け上がり自室のドアに錠をかけた。

ボストンバッグに金目の物(大して無かったが)を詰め込むと、
窓から屋根伝いに脱出して同郷の先輩の家に駆け込んだ。

宿無しになったじいちゃんは下宿とは完全に連絡を絶ち、
その家の納戸に寝泊りしていたが、
おばちゃんはあの手この手でじいちゃんを抱き込もうと、
しつこくしつこく迫ってきた。

最も辛かったのは事故って暫く入院した時に、
どこで調べたのか(医者か看護婦に信者がいて手引きした?)
おばちゃんが花束持って現れて、
ベッドで動けないじいちゃんに毎日毎夜
法話みたいなものを続けたこと。

退院後は自分のせいで迷惑かけないように先輩の家も出て、
会社の倉庫の、鍵のかかる2畳くらいのスペースに寝泊りする日々。

どこにいてもおばちゃんの手先がいるような気がして
ノイローゼ寸前だったが、何とか持ちこたえた。

攻防は半年余り続いたが、次の年の春になると唐突に止んで、それっきりだった。

多分、新しい奴が下宿に入ったんだろうが、
何とか、じいちゃんは逃げ切れたのだった。

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