先日、次男坊と二人で、
河原に蕗の薹を摘みに行きました。

まだ少し時期が早かった事もあり、
思うように収穫がないまま
結構な距離を歩く羽目になってしまいました。

視線を常に地べたに置き、
河原を舐めるように見回しながら歩いていると、
突然私の眼に飛び込んで来た物は、
まるで目と鼻の先に毒ヘビでも見つけた様な衝撃がありました。

それは、木の切り株と表現するにはまだ細すぎる、
直径6cmほどの斜め一刀両断にされた若木でした。

その切り口を眼にした瞬間に、
私の意識の中にグイッと差し込んでくる言葉を感じたんです。

『無念だ…』

それは言葉というよりも、
想いとか念と言う方が適切だったかもしれません。

『無念だ、無念だ…』

それは波紋のようにゆっくりと広がりながら、
しかし広がるごとに大きくザワ立ち、
私の思考を無視して、
これは錯覚ではないのだ、
という認識を強要されました。

『無念、無念、無念だああ…』

どうにも息苦しくなり、
動こうとすると「ギュッ」っと足首を掴まれそうな雰囲気の中、
なんとかその場を離れました。

その晩、夢にまでは見なかったものの、
日が変わってからも、

『何だ、何なんだ…』

という薄らぐ事のない胸のつかえがとれず、
私はある決心をしました。

ノコギリを持って昨日の場所へ向かう私の頭の中にはまだ、
あの若木をぶった切ってやろうという、
確固たる決意がある訳ではありませんでした。

ただ昨日以来、
あの鋭く尖った切り口を思い出す度、
突き刺されそうな幻覚におびえる自分を払拭する為に、

尖った物に尖った物で対抗しようと、
それぐらいの気持ちだったと思います。

自分が刃物を持っているというだけで随分気持ちが励まされ、
楽だったような気がします。

若木の切り口に向かい立っても昨日のような動揺はなく、
そして、あの渦巻くような念も伝わってはきませんでした。

しかし、何事もないただの若木の切り口にはあらず、
今はただ黙っているのだ、
という気配のようなものは感じました。

まずよく観察してみようと、そっと手を添えて、
地面から切り口までの僅かな距離をたどって見ました。

ふと、根本から半分ほどの所から切り口に向かって
質が変わっている事に気付きました。

無機質な手触りとその乾いた表面が、
とても異質にな物に感じました。

その時私は何を感じるでもなく、
無意識に右手に持っていたノコギリをそこにあてがっていたんです。

この若木に私が感じた擬人的なものがあるとすれば、
刃をあてたこの時こそもがく筈でありますが…

それどころか、刃を切り込ましていく程に、
まるで痒いところにやっと手が届いたような爽快感が増してゆくのです。

「これでよし」

枯れかかった部分を切り落とし、
樹液が垂れる新鮮な切り口を見ると、
これといった根拠もなく何となくですが、
満足しその場をたちました。

私はその晩の来客に、
その出来事を話してみました。

特に奇妙な話として話題にするつもりもなく、
尖って気になったからワザワザ平らに切りに行ってきましたよ、
という話し具合です。

誰かととりとめのない話題にする事で、
自分の中でも消化して流してしまおうと思っていたのかもしれませんが。
しかし、そこから意外な展開がありました。

「ああ、じゃあその木は、
あんたに救われたかもしれんなあ」

私の親と同世代のその方がそう言うのです。

「え、それはどういう事ですか…」

「斜めにザックリ切られたんじゃあ、
もしかしたら枯れたかも知れんもんなあ。
この時期に平らに切り直してやったんなら、新芽が出るかも。
そしたら、あんたに助けられたってえこったよ」

その日の晩御飯の味噌汁の具用の大根に包丁を入れる時、
この大根も声が出せないだけで、もしかしたら

『ギャ~、イタ~イ』

と声を出しているのかもと、
そんな事を思いました。

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