俺はある機械メーカの技術者なんだけど、
うちの機械は世界各国の工場でも使われている。

で、据付や調整、指導なんかで
1ヵ月ほどそこに出張というのが年に1、2回あった。

これは最近、
近所の大国へ行ったときの話なんだ。

機械を買ってくれた工場は、
発展している沿岸部からそう遠くない所にあった。

でもすんごい田舎で、
大きな工場の周りにはほとんど何もないような所だった。

工場は昔の国有工場で、
数年前に台湾の会社との合弁会社になり、
設備投資を始めたんだ。

その台湾の会社から、
管理職や技術者が数人来ていて、
王さんという技術者が日本語ぺらぺらで、
俺の通訳や世話をしてくれた。

その王さんから、

「一人で工場の外へは出ないように」

と言われていた。

俺が?でいると、

「外へ出ても何もない。
田舎だし、外国人に対するマナーもない。
言葉も通じないし、迷子になったらタイヘン」

という答えで、
まるで監視するかのように朝食から寝るまで、
びったり俺に付いていた。

夕食後に散歩に出ようよ、
と言っても

「何もないです」

と絶対ウンと言わない。

俺が行ったときの歓迎会と、
週末の食事と買い物に、
車で15分くらいの町へ台湾人達と出かけるだけ。

お国柄的に、
外国人が行ってはいけない秘密施設でもあんのか?
と思ったくらい。

確かにゲストハウス用の食堂で三食食べられるし、
商品に難があるが売店もあり、
外へ出る必要がなかったんだが。

それまでいろんな所へ行ったが、
どんな所でも町の様子をぶらぶら見るのは楽しいものだったし、
ここでもそうできると思ってたんだ。

2週目の土曜になると、
相当退屈になってきた。

王さんも俺のお守りに疲れてきたみたいだった。

昼食時、

「今日の午後はたっぷり昼寝するよ。
王さんも休んでくれ。夕食時にまたな。」

と言うと
王さんはちょっとホッとした感じで、

「わかった。ゆっくり休んでいてください。」

と自室へ帰った。

それで俺は、
工場の周りを散歩することにした。

退屈しのぎになるかと思ってね。

まあ秘密施設があったら怖いが、
何か見かけたら戻ればいいし、
くらいに考えてた。

門まで来たら、
守衛が俺に向かって何か言ったが、
当然、全くわからない。

守衛の舌打ちを無視して、
俺は外へでた。

外出は車ばかりだったし、
注意して見てなかったが
門の向かいや左右に、
工員向けのよろず屋みたいなのと、食堂が数軒。

真ん中だけ舗装されている
ホコリっぽい道を歩き出した。

畑とポツポツと古い家があるだけで、
ほんとに何もない・・・引き返そうかという時、
畑横の1軒の朽ちかけた家の中から、
ガサガサッという音が聞こえた。

え?ここに人が住んでるの?

屋根も壁もボロボロだし、
窓にガラスも入ってない。

もしかして野犬?

こっちは狂犬病が多いと聞いていたのを思い出し、
途端に怖くなった。

すると

「ぐぅぇぇ・・・」

という声が家の中から聞こえた。

え?え?と俺は凝視モードに入った。

ガラスのない窓枠に、
屋内から枯れ枝のような手がぶら下がっているのが見えた。

爪が異様に長い。

魅入られたように見ていると、

窓の下からばさばさの白髪が現れ、
ゆっくりと、しわくちゃの婆さんが顔を半分のぞかせた。

その婆さんの目は、
病気なのかなんなのか、
白い半透明の膜みたいものがあって
黒目がはっきり見えない。

恐ろしさがこみ上げて来て、
俺は工場の方へ走り出した。

途端にガッ!と肩を掴まれた感触があった。

そりゃもう、必死で走って帰ったよ。

守衛が驚いたように俺を見ていたが
それどころではなく、
自分の部屋に転がり込んでへたり込んだ。

あの婆さんはなんだ?

普通に住んでる人だったのか?

しかしあんなボロ家に?

もしそうで、病気だったんなら、
走って逃げて気を悪くしただろうか?

あっ、見えてないのか。

などど、
心臓バクバク状態であれこれ考えた。

そういえば、肩を掴まれた感触が??

と思って、
Tシャツをずらして肩を見てみると、
細い三日月のような赤いスジが3つ並んでる。

と、反対側に1つ・・・

あの婆さんは人じゃないのか!?
って震えた。

夕食時、王さんが

「よく休めましたか?」

と聞いてきた。

俺はボロ家で見たことを話そうかと思ったけど、
怒られそうなので「うん」と曖昧に答えておいた。

その晩も王さんが部屋にやって来て、
あれこれ話して過ごし、
婆さんと肩の傷のことは忘れかけていた。

王さんも自室に戻り、
風呂でも入ろうと空きベッドに広げておいたスーツケースから
着替えを出そうとかがみこんだ。

その時ちょうど後ろ側にある、
開けていた窓のほうで
ガリッ、て音がしたんだ。

ん?なんだ?と一瞬思い固まったが、
もう音はない。

気のせいかと着替えをあさっていると、
またガリッ、ガリッという音がした。

俺はかがみこんで着替えをつかんだまま、
恐怖で固まった。

見てはいけない、見てはいけない!

どれほど固まっていただろうか。
怖くて全く動けなかったんだ。

が、

「ぐぅぇぇ・・・」

という声が聞こえて、
俺は気が狂ったように振り向いた。

俺の部屋の窓枠に、
外からしわくちゃの手、
長い爪がしがみついてたんだ。

そしてぼさぼさの白髪と、
膜がかかったような目がだんだん見えてきた。

昼間は半分しか見えなかった顔が、
ゆっくりと、全部現れてきた。

土気色のしわくちゃ顔に、
線を引いたような薄い唇だけが真っ赤だった。

俺が動けなくて凝視していると、
婆さんが突然ヒラリというか、ふわっというか、
急に窓枠の上に上がって来たんだ。

そこで俺は弾かれたように立ち上がって、
なんか叫びながら、
転げるようにして部屋から出た。

俺の叫び声を聞いて、
ゲストハウスの台湾人たちが部屋から飛び出してきた。

王さんもすっ飛んで来て、

「どうしました?どうしました?」

と聞いてくる。

俺は腰が抜けて廊下にへたり込み、
部屋を指差して

「ば、ば、婆さん、窓、窓」

としか言えなかった。

王さんらが俺の部屋へ入っていったが、
すぐに出て来て、

「何もないですよ。一体どうしたんですか?」

他の台湾人に水をもらって、
人に囲まれた俺はちょっと落ち着き、
昼間のボロ屋の話から始めた。

王さんの顔がこわばる。

王さんが中国語で皆に話すと、
皆「アイヤ・・・」と首を振った。

「・・・だから、一人で工場の外へ出るなと言ったでしょう!」

王さんも、首を振り振り言った。

そうだ。

肩の傷はどうなった?
と思いめくってみると、
赤いスジだけだった傷は膨れ上がり、
熱を持ったようになっていた。

ずきずきと痛みも感じ始めた。

王さん達はその傷を見て、
もっと深刻な顔になっていき、
なんやらワアワア話し始めた。

何人かは携帯を出してきて、
あちこちに電話し始めた。

婆さんも怖かったが、
台湾人達の緊迫した様子を見て、
俺はたいへんな事態なんだと、
もっと怖くなった。

その晩は王さんの言葉に従って、
王さんの部屋で王さんともう一人の台湾人と寝ることになった。

俺はもう怖いのと、
肩が痛いのと、疲れたのでベッドでぐったりしていたが、
王さんともう一人の台湾人は、
なにやらヒソヒソと、ずっと話し込んでいた。

翌日朝早く、
ゲストハウス前に迎えの車が来た。

この工場に元々いるという幹部職員が乗っていて、
王さんともう一人の台湾人と一緒に、
俺も車に乗って出かけることになった。

「日曜なのに王さん、みなさんにすまない。
でも、昨日のあれは何なの?
これからどこへ行くの?」

と王さんに聞いた。

王さんは一瞬怖い顔をしたが、
すぐにっこり笑って

「だいじょうぶです。
これから解決に行くのです。」

としか言ってくれなかった。

車で小一時間ほど走っただろうか。

よく似た田舎の風景、
よく似た農家らしき一軒の家で車は止まった。

門内の中庭に中年の女性が待っており、
土間の部屋には盲目らしい婆さまが座っていた。

部屋はうす暗く、
大きなロウソクが焚かれ、
線香か何かの匂いで咳き込みそうになった。

拝み屋さんか?と思いながら、
促されて婆さまの前へ行き座った。

俺が近づくと、
婆さまは思いっきり顔をしかめて何やら言った。

工場幹部や王さん、中年女性が何か言う。

しばらく話が続いたが、
俺は言葉もわからないし、
王さんも何も聞いてこないのでずっと黙っていた。

婆さまは紙と筆を用意させ、
ブツブツつぶやきながら、
紙にしゃらしゃらと絵文字のようなものを書き、
拝むような仕草を何度もした。

この時は誰も何も話さず、
俺は異界に迷い込んだようで益々怖くなった。

次に婆さまは皿に紙を置いて、
ロウソクで火をつけて燃やし、
またブツブツ言った。

王さんが俺に、
シャツをめくって肩を見せるように小声で指示した。

婆さまは俺の傷が見えるのか?

ブツブツつぶやきながら、
灰を傷に塗りつけた。

俺は痛くて思わず
「ウッ!」と言ってしまったのだが、
王さんに手で牽制された。

何度か灰を塗りつけた後、
中年女性が碗に水のようなものを入れて持ってきた。

婆さまは灰をつまんで碗に入れてブツブツ言うと、
俺の前に差し出した。

俺が王さんを見ると、
王さんは黙ってうなずいたので、
俺は恐る恐る飲んでみた。

灰がちょっと苦かったが、
普通の水だったように思う。

合計三枚の紙に何やら書かれ、
同じ行動を繰り返した。

婆さんが大きな声で叫んだ(かなりビックリした)あと、
王さんが

「終わりました」

と、口を開いた。

中年女性が、
絵文字を書いた紙を俺にくれた。

王さんが

「いつもそれを持っていてください」

と言った。

帰りの車では、
誰も何も言わなかった。

ただ、それから三日ほど、
王さんの部屋で寝るように言われた。

その後も王さんは何も言ってくれないし、
俺も聞く気になれなかった。

俺は心底怖かった。

ビビリと思われるだろうが、
しばらく一人になるのが怖かった。

窓の方も見られなかった。

異国の地で異形の婆さんを見て、
拝み屋へ連れて行ってもらい、
護符のようなものまで持たされたんだ。

翌日からの仕事中も上着の胸ポケットに護符を入れ、
風呂に入る時は護符を洗面台の上に、
寝る時は枕もとのテーブルに広げておいた。

傷の腫れはすぐひいて、
三日目くらいにはスジも薄れてきた。

次の土曜日、
同じメンバーであの婆さまの所へ連れて行かれた。

婆さまは今回顔もしかめず、
一回きり紙にしゃらしゃらと何かを書いて灰にし、
水に溶かして俺に飲ませ、
両手でパンパンと俺の肩を叩くようにして、
大声でなんか言った。

王さんが

「もうだいじょうぶです。
もう怖くありません。
よかったですね」

と、笑って言った。

俺が持たされていた護符も、
皿の上で焼かれた。

帰って来て、
王さんの部屋で二人になった時、
俺はあの婆さんはなんだったのか聞く勇気が出てきた。

「何かは、私もほんとうに知らないです。
でも悲しいこと、不思議なこと、
怖い噂はどこにでもあります。」

「私達がここへ来た時、
一人で空家へ近づいてはいけないと
工場の人に言われました。
ここの人達はみんな、一人では絶対に通りません。
でも以前一人、一緒に来た台湾の仲間が一人で行って
あなたと同じように、とても怖い目に遭いました。
だから、あなたにも絶対ダメですと言いました。
あなたに、正直にこの怖い話をすればよかったですね」

とだけ、王さんは話してくれた。

あと、

「最初あなたが近づいた時、
あの婆さまは『死臭がする』と言って、
嫌な顔をしたのですよ」とも。

「でも、もうだいじょうぶです。」

他は、笑って一切教えてくれなかった。

その一人で行った台湾人はどうしたのか、
その時はどんなだったのか、
それも王さんは言ってくれなかったし、
俺もそれ以上は怖くて聞けなかった。

その後何も起こらず、
俺も皆もその件に関して何も言わず、
残り一週間、契約通りの仕事をして日本へ帰ってきた。

帰り際、王さんや台湾人、
工場の人達に何度も礼を言った。

皆、気にするなみたいな感じで
ポンポンと肩を叩いてくれ、
握手で別れた。

日本でも、
また他国での出張時にも、
何も起こらずこうしている。

でも今でも、
拝み屋の室内の雰囲気と、
強烈な線香の匂いは忘れられないし、
窓を見ると、あの婆さんの顔と、
ふわっと窓枠に上がった姿を思い出してゾッとしたりする。

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