古い墓石や建築物、
石像の台座や首の部分なんかをよく調べてみると
たまーに接合部の隙間なんかから
紐とか布の一部がはみ出てたりする
特に裏側とか
普段影になってる部分なんかにあるから探してみな
多分何人かは見たことあると思うし
触ってみた事もあるんじゃないかな?
もし運良く見つけたら
それをよく観察して見るといいと思う
多くはくすんだ茶色だったり
肌色っぽい色のが多いんだけど
たまーに白だったり赤だったり黒だったり
色が鮮明なのがある
もちろん中には
そこに何故布とか糸とか挟まってるのか
よく分からない事があるけど
それは些細なことなんで気にしない
重要なのは
それを引っ張ってみる事だ
ゆっくり慎重に
多くの人は
焦って引っ張ったりゴミと思って除去しようとするから
すぐにぶちって千切れてしまうんだけどそうじゃない
ゆっくりゆっくり引っ張っていくと
千切れずに引っ張り続けられる
そして上手く終点まで引っ張ると
多分先が湿っててちょっと生臭い
最後まで引っ張れちゃえば
それが凄く長いものである事が分かるはず
それが何であるかと聞かれても
実際のところよく分からない
ただ一度その楽しさに気付くと
色々なところで発見できるようになるよ
でもあまり嵌ると
幻覚を見るようになるから気をつけた方がいい
どんな幻覚かと言うと、
その紐や布が人の体からも見える様になってしまう
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コメント
コメント一覧 (10)
やり直し。
一般人はそんなにヒマじゃねーよ。
なにやら一人楽しんでいるようなので、邪魔はしませんが、あまり側にはいたくないかも☆
お楽しみもほどほどに〜
(世にも奇妙な物語のテーマがながれだす。)
このように紐とは何かとの縁つまりは命綱そのものとも言えます。しかし、人は何かを切ることに一種の気持ちよさを見いだすことがあります。その正体がわからなくとも。彼は自分と神仏との縁が見え、面白がって引っ張って挙げ句は切断し、神仏との縁を進んで切っているのでしょうか。良縁が切れ、そのものが行き着く果ては不幸か地獄そのものか…。まぁ、もはや、人の縁が紐として見え、それを引っ張り己との縁を切り続けるのも、孤独へと至る一つの地獄かも知れません。
皆様はもし、「紐」が「見えて」も、簡単に引っ張らないようご注意を…。
はて、この紐は…?
ご指摘ありがとうございます。私の記憶違いでした。臨終行儀 五色の紐の記載は天台宗 源信(恵心僧都)の往生要集の中の記載でした。ご指摘の通り、法然は臨終に際し、それまでの臨終行儀は必要としないとの教義を確認しました。記憶の修正の機会を与えてくださりありがとうございます。