新しい事が判ったので報告に来た。

親戚方々に聞いて調べて回ったり、
蔵の調査に来た学者先生に聞いたりした甲冑に関する資料はごく一部だが、
学者先生の研究室に保存されていた。

以下長いので箇条書きにする


・本家は大きい川に挟まれた土地にあり、
室町~安土?ぐらいの時期に治水工事が行われ豊かになったが、
工事中の事故で作業員の男性が大勢亡くなる事があった。

・↑の事故で集落単位で成人男性が全滅した時期があった。

・その時期に所謂落武者が集落近辺に現れたそうで、
集落の女達が怪我の治療をしたり、食べ物を分け与えたりしたそう。

・その女達の一部が落武者を家に迎え入れたりしてた(家族にするという意味で)。


ここまでが郷土史と学者先生の知識。

ここからが甲冑の資料。


・フェミ侍も落武者で、
大怪我して死にかけてるところを本家の娘に助けられ
女達に介抱されて命拾いし、本家に迎えられた。

・↑婿入りではなく、男を中心に大勢の女というハーレムみたいなコミュニティを作っていた。
他の集落でも男1~2人に対し女大勢というコミュニティが複数あった。
(フリーな性交渉があったかは知らん)

・フェミ侍は、大勢の女達を治めて農業したり平穏に暮らしたそう。

・フェミ侍の手記とおぼしきものには、
女達への感謝や色々な想いが書いてあった。


以上調べて判った事。

口伝と史実と学者の推測が混じってるので
矛盾があったらすまん。

毛利家云々については学者先生曰く、
元が毛利家の武士か西日本の人なんじゃないか?との事。

何だか一歩間違えていたら
とんでもない祟り神になっていたであろうフェミ侍に改めて感謝。

そこそこ身分が高いはずなのに、
わざわざ集落に残ってくれるとは義理固い男だ。

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