小学校に入ったばかりの頃、
同じクラスにいじめられっ子がいた。

貧しい家の子で、いつも悪臭を漂わせ、
性格も暗くおよそ子供らしくない男の子だった。

ある日、
公民館の庭で藁の束で遊んでいたときにふと思い立ち、
藁人形を作ってみた。

オカルト好きな少年だった僕は、
予想外の出来映えに作るだけでは満足できなくなり、
翌日、件のいじめられっ子の髪の毛を手に入れ、
人形に埋め込んだ。

さて、あとはどこかに打ち付けるばかり。

思い巡らすと、
少し遠出することになるがぴったりの場所がある。

地元に言い伝えられる犬鳴き岩の周りは暗い林になっていて、
牛の刻参りには打って付けだ。

もっとも、夜中に行くわけにはいかないので、
土曜日の半ドンのあと半日かけて行くことにした。

五寸釘と藁人形、
ハンマーを持ち犬鳴き岩に着くと、
さっそく打ち付ける木を探した。

けれどどれもサルスベリや白樺などの細い木で、
いまいち迫力に欠ける。

足下には、
犬がうずくまりそのまま固まったような犬鳴き岩がある。

岩の割れ目が見えたので、
何となく釘を打ち込んでみると、
思いのほか抵抗なく五寸釘は沈んでいく。

そこで予定を変更し、
人形の首に釘を刺すと、
犬鳴き岩にそのまま打ち込んだ。

何度かハンマーで打ち付け、
一仕事終えて満足した僕はそのまま家に帰り、
何週間かあとにはすっかり忘れた。

次に犬鳴き岩を訪れたのは、
数年後の小学校中学年になり、
親友と大喧嘩した週末だった。

いじめられっ子も健在だったし、
すっかり忘れていた僕が
なぜまたそこへ行く気になったのかは分からない。

とにかく前回のようにまた犬鳴き岩にやってくると、
以前と何も変わらず暗い林の中に岩はうずくまっていて、
僕が以前人形を打ち付けた名残は全くなかった。

前回と同じように、
髪の毛は親友のものを使い、
首の付け根めがけひとしきりハンマーを振るうと家に帰った。

親友とは翌週には仲直りし、
犬鳴き岩の儀式は記憶の隅に押しやられた。

その後覚えている限りでは、
小学校高学年の頃に父の、
中学生になって兄の髪を持って犬鳴き岩へ通った。

それらも何事もなく過ぎ去り、
もう思い出すことなどないはずだった。

すっかり忘れ去った記憶が蘇ったのは、
それから十年近く経ち、
久しぶりに郷里に帰ったときのことだった。

親友とは未だに付き合いが続いていた。

成人して酒を飲めるようになり、
旧友たちとの再会に話も弾んでいたある夜。

小学生時代のいじめられっ子が、
若くして命を絶っていたのを知った。

親しくしていた者もいないので原因は推測するしかなかったが、
自宅で首を吊ったらしい。

話を聞いた瞬間、
ちらと犬鳴き岩での記憶が脳裏をよぎった。

しかしあれは子供の頃、
虫を無意味に殺したのと同じただの遊びのはず。

そう片付け、
僕はかつての級友の冥福を祈った。

時が経ち三年後、
就職し郷里からはさらに足が遠のいたが、
親友たちとの付き合いは続いていた。

ある日、衝撃的な報せが飛び込む。

当の親友が事故で亡くなったのだ。

仕事で高所作業中の落下事故で、
首の骨を折り即死だった。

茫然としながら、
やはり記憶の縁をかすめるものがあった。

犬鳴き岩の思い出。

僕はいじめられっ子のときと同じく、
親友の髪を埋め込んだ藁人形にも首に釘を打ち込んだ。

それも二、三年後に。

こじつけかもしれないが、
関係があるのではないか。

その直感が間違いないと確信したのは、
さらに二年後、
父が突然の心臓発作で亡くなったときだ。

父の人形は胸に釘を打ち込んだ。

偶然かもしれない。

偶然かもしれないが出来すぎではないか。

その一年後兄が亡くなった。

交通事故で頭部がめちゃくちゃになり、
葬儀屋は酷く苦労したらしい。

兄の人形には、
顔面にあたる場所に釘を打ち込んでいた。

僕はオカルト好きだが
幽霊の存在なんて信じていない。

超常的な現象も不可思議な力もだ。

犬鳴き岩に打ち付けた藁人形と続いた一連の死については、
関係あるだろうと確信しつつ、
心の底ではそんな馬鹿なと思っている。

いや、そう願いたい。

なぜなら犬鳴き岩にはもう一度だけ通ったからだ。

兄の藁人形を使ってから二年後、
中学三年生のとき。

人間関係に悩んでいた僕はやや自暴自棄になっており、
自分の髪の毛を藁人形に埋め込んで犬鳴き岩へ打ち付けた。

五寸釘で、全身何ヶ所も。

今、兄の死から一年と少したった。

S県某市のなかほどに、
犬鳴き岩は今でもあるのだろうか。

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