これは僕が大学生だった時の話だ。

田舎の学生といえば、
基本車か原付で移動することが多く、
僕も例に漏れずホンダの原付で大学やバイト先に出かけていた。

時には田舎から都市部まで30kmくらい走ったり、
それを超えて海まで行ったりもした。

便利な足をはじめて手にした僕は、
どこへでも行けるような気がした。

僕は家から10kmほど離れた
大型ショッピングモールの本屋兼雑貨店でバイトしていた。

理由は二つ。

自由な金が欲しかったのと、
母親に迷惑をかけずに就職まで進むための資金稼ぎ。

父親を中学生で亡くした僕は、
少しでもそうした負担から母親を解放したい、
いわば早く自立した男として生きていく気持ちが強かった。

田舎では仕事は少なく、給料も安い。

近所の畑の学生バイトも季節によりけりだった。

そこで少し遠方のところまで足を伸ばして働くことにしたのだ。

バイク乗りは皆知っていると思うが、
夏は暑く、冬は寒い。

当然、夏は日焼けして真っ黒に、
冬は帰ったらすぐに風呂に飛び込んだ。

でもバイクに乗るのは気持ちがよかった。

風を切って走る爽快感がそれに優った。

そんな気候に悩まされる時期のあいだ、
寒くも暑くもない6月にそれは起きた。

バイト先のショッピングモールから出て帰路についた僕は、
いつも通り原付で帰っていた。

日が長くなってきてそろそろ帰りもサングラスをかけなきゃな、
と考えながら夕方と夜のあいだくらいの街を走った。

陽がちょうど落ちるか落ちないかの時で、
道中サングラスをかけていないことを後悔したが、
走行中に取り出すのも面倒臭くてそのまま走った。

幹線道路の車線変更をして
橋を渡っていたその時だった。

陽が強くあたり視界を奪った。

思わず目を瞑ったが時速60kmで走行中で車も多く、
無理やり目を開けた。

視界は真っ白でこんなことあるのかと思った。

しかし徐々に視界が戻ってきてホッとして、
そのまま橋を降りる方向へ向かった。

この橋が実は昔から不思議だった。

詳細は特定されるかもしれないからぼやかすけど、
橋の途中で道路のある種別が変わる不思議な道路で、
それゆえに地元住民からはある愛称で呼ばれていた。

そういった不思議な道路で、
事故も多かったのでいつも警戒していた道路だった。

なんとなく事故が多いのは
太陽の光が入り込むタイミングとかなのかなとか考えながら、
橋を降りた。

そこで違和感に気づいた。

その橋を降りた先の道は、
いつもすごく混む。

それなのに一台も車がなかった。

最初はあれ?ラッキーと思って走ったが、
次の交差点でも、
その次の交差点でも車どころか人一人見つけられない。

そのまま走って家に着いた。

なんかおかしいような気がしたけど、
道中見かける家の明かりはついているし、
街灯も信号も付いている。

その光のみに支えられて家に着くことができた。

家に着いたら、母がいなかった。

もうすでにあたりは真っ暗で
いつもなら母は帰っている時間。

これはいよいよおかしいのでは。

そう思って母に電話しようとして
携帯を取ろうとしてポケットに手を突っ込んだら、
いつも入れてるポケットに携帯がない。

あれ?と思ってバッグを見てもない。

バイト先に忘れたか、
それともこの家のどこかに置いたのを忘れただけか?
と考えてわからなくなったので、
とりあえず自分の携帯にかけてみることにした。

今は昔、家の固定電話があった時で、
その固定電話から空で覚えてる自分の携帯電話にかけて耳をすませた。

…どこからもバイブ音は聞こえない。

どうやらバイト先に置いてきたみたいだな…とか考えながら
受話器を置こうとした時に、
不意に違和感を感じて、受話器を耳に当てた。

コール音が鳴っておらず、
誰かが応答している気配があった。

誰かに拾われて、通話に出てくれたのか、
それともバイト先の店長か、どちらかの可能性が高い。

なんとかするべく話してみた。

「あのーすいません。
その携帯僕のなんですが、そちらはどなたですか?」

応答はない。

僕は耳をすませて相手の出方を伺った。

かすかに向こうの周囲の音が聞こえる。

どこかの店らしく、BGMが流れている。

クラシック調の音楽で、
曲目が判別できるほどは聞こえなかった。

しかしその後も電話は誰も喋らずで、
僕は仕方なく受話器を置いた。

その瞬間、電話が鳴った。

固定電話の番号通知には母の名前。

「もしもし、どうしたん?
こんな時間まで、どこいんの?」

と僕が話し出すと、
母親の声が聞こえた。

が、なんといっているかがわからない。

「なんか電波悪いみたい。
聞こえる?もしもーし」

そう僕が言うと、
母の方の声が次第に聞こえてきた。

「・・・は、・・・大丈夫?」

「え?なんて?」

そんな感じで答えていると
不意に地震のように地面が揺れ始めた。

「うわ、地震?かも。そっちは大丈夫?」

と答えながらも揺れは大きくなっていく。

「・・・・ねんで」

母の声は相変わらず聞こえにくい。

地震の揺れが大きくなっていく中、
このままじゃまずい

!と思った僕は、母親に

「ごめん、ちょっと机の下に行くわ!」

といって切ろうとした時、
母親の声が鮮明に聞こえた。

「なにいってるの!
あんたトラックに撥ねられて、今救急車やろ!」

「え?」

返事をした瞬間、
僕の目の前には白衣の男性がいた。

僕の右耳には受話器?が当てられてて、
僕はストレッチャーの上だった。

窓を見ると街灯が素早く移動する。

明らかに救急車の中だった。

全てを察して、僕は母親に言った。

「えらいことになってしもた!
ごめん。ほんますまん」

そう、僕は途中でトラックと交錯して、
事故を起こして気を失って搬送されている最中だった。

それまで見た風景は、
たぶん夢かなんかなんだろう。

そう思って目を閉じたらそのまま気絶した。

次に目を覚ましたのは、
いわゆる集中治療室。

自分の間近で鳴ったナースコールで目を覚ました。

夜中に目を覚ますと、看護師がやってきて、
安心させるような言葉をかけて、去っていった。

そこでまた気絶して、
翌朝鏡を見て驚愕した。

事故の影響でボコボコに腫れていた。

医者は笑いながら、
大体治るから大丈夫、と言葉をかけてくれたが、
目の下の骨をおり、網膜も少し傷が入ったようで、
経過観察と絶対安静を余儀なくされた。

僕を見て母親と姉は泣いた。

僕は本気で詫びた。

その時初めて
自分の命が自分だけのものではなかったことを知った。

入院中はたくさんの人に支えられた。

大手術もした。

今思えばそんなこともあったな、と思うが、
当時は本当に大変だった。

もう二度とこんなことになりたくない。

そう思った。

大学の開校期間中に復帰できた。

単位もいくつか落としたが、
周りの支えもあり、なんとかなった。

そうして時は過ぎて行った。

僕は大学三回生になり、就活をしていた。

就活は本当に大変だった。

毎日色々なところに行っては、
説明会に出たり、面接を受けたり、
テストを受けたりしていた。

順調に物事が進むようには思えなかった、
そんな時のことだった。

大阪、梅田の地下街を就活の合間に歩いていた。

僕の就活の息抜きはラーメンで、
色々な店を捜してはくった。

今回は坦々麺。

今もあるかどうかはわからないが、
有名な泉の広場を抜けた先にある。

本格坦々麺の店に向かい、注文した。

料理が出てくるのを待っていると、
携帯が鳴った。

僕は選考の連絡かな?と思い、
嬉々として通話ボタンを押した。

その瞬間、
口の中に誰かが手を突っ込んできたのかと思うほど、
口が引き攣り、喋れなくなった。

なんでこんな時に、こんなことになるのか。

持病も何もないのになぜ、と思いながら、
耳を澄まして相手の声に集中した。

後で掛け返せばなんとかなると思った。

すると聞こえてきた声は意外なものだった。

「あのーすいません。
その携帯僕のなんですが、そちらはどなたですか?」

間違いなく僕の声だった。

そして彼は電話を切った。

その瞬間、僕の口は元に戻っていた。

そんな馬鹿な、
間違い電話だろうと思う僕に坦々麺が運ばれてきた。

食べようとした瞬間、
僕の耳に聞こえたのは、
店内のBGMに使われていた

モーツアルトの「呪われしものを罰し」だった。

長々と失礼しました。

約10年前の出来事で、ふと思い出したのが、
まさかの事故った日だったので何かの因果と思い記念カキコ。

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